家系図
下にズラーッと続きます。
興味のある方はご覧ください。
月足 左近将監 (さこんまさただ) |
開祖西念の父。永正7年(1510年) 戦死。 | |
開祖 |
西念 (さいねん) |
天文12年(1543年) 34歳で出家。荒谷に一宇建立。天正6年(1578年) 荒谷山専勝寺の号名を受ける。天正16年(1588年) 没。享年79歳。 |
2世 |
明玄 (みょうげん) |
養子。瀬高正覚寺の舎弟。天正19年(1591年) 木屋に光源寺を建つ。 |
3世 |
了山 (りょうざん) |
養子。福島明永寺の舎弟。寛永15年(1638年) 専勝寺を今村に移す。 承応3年(1654年) 原島に専勝寺を建てる。 |
4世 |
嶺雲 (りょううん) |
養子。久留米順光寺祐清の弟子。承応3年(1654年) 法務を嗣ぐ。 延宝8年(1680年) 没。享年76歳。 |
5世 |
等雲 (とううん) |
養子。永宝4年(1676年) 法務を嗣ぐ。元禄9年(1696年) 寺を出る。 その為、7月より8月まで無住になる。行信寺第2世 了伝 兼任する。 |
6世 |
香山 (こうざん) |
養子。久留米藩士 岡部氏の家長、坂田氏の次男。元禄9年(1696年) 22歳にして法務を嗣ぐ。宝永4年(1707年) 本堂茶房改築。 〰専勝寺中興の祖といわれる〰 |
7世 |
円山 (えんざん) |
6世 香山の長男。享保14年(1729年) 33歳にして法務を嗣ぐ。 元文2年(1737年) 山門と鐘楼を建立する。北大淵の松杉楠を使用。 宝暦4年(1754年) 寺を出て三池郡今福明願寺で没する。享年79歳。 |
8世 |
塊堂 (かいどう) |
養子。三潴郡常然寺海慶の舎弟。 宝暦4年(1754年) 23歳にして法務を嗣ぐ。 |
9世 |
旭禮 (きょくれい) |
天明8年(1788年) 法務を嗣ぐ。文化4年(1807年)没。 |
10世 |
敬禮 (きょうれい) |
文化5年(1808年) 法務を嗣ぐ。天保8年(1837年)退職。 |
11世 |
槐堂 (かいどう) |
天保8年(1837年) 法務を嗣ぐ。(25歳)天保12年(1841年) 没。 享年29歳。 |
12世 |
敬禮 (きょうれい) |
嘉永4年(1851年)退職。再任期間11年間。 |
13世 |
旭禮 (きょくれい) |
嘉永4年(1851年) 18歳で法務を嗣ぐ。文久3年(1863年)没。 |
14世 |
霊珠 (れいじゅ) |
内紛3年間に及ぶ寺産分散する。明治25年(1892年)没。享年41歳。 |
15世 |
一華 (いちげ) |
大正4年(1915年)没。享年42歳。 |
16世 |
霊誠 (れいせい) |
一時、本分 橋本嘉助の養子となる。大正12年(1923年)法務を嗣ぐ。 昭和11年(1936年)庫裡新築。昭和30年隠居。昭和35年に没。 |
17世 |
磁世 (じせい) |
霊誠の四男で、昭和27年(1952年) 法務を嗣ぐ。 昭和30年 ふじなみ幼稚園創設。大梵鐘整備。納骨堂建設。 昭和47年 本堂、門徒会館新築。昭和51年 あゆみ保育園設置。 昭和54年 専勝寺開祖400年、親鸞聖人700回御遠忌法要を併修する。 平成7年(1955年)没。享年73歳。 |
18世 |
現住職 彰顕 (しょうけん) |
磁世の長男。平成7年(1995年) 法務を嗣ぐ。ふじなみ幼稚園の理事長、園長を兼務する。平成12年(2000年) 本堂改築、清風廟新築。 |